戦争の記憶 ラジオ・テレビの放送時間のご案内

熊本の記憶を残したい 戦争を経験した人。戦争を語り継ぐ人。戦争を語り継がれた人。

探しています

「私たちが知らない戦争を教えてください」放送予定

ラジオ版  毎週木曜日 午前10時頃〜「とんでるワイド 大田黒浩一のきょうも元気!」内  テレビ版 隔週火曜日(第1・第3)午後6時55分〜 6月17日放送スタート(6/17・7/1・7/15・8/5・8/19 予定)

戦争の記憶

※証言やいただいた文章に基づいて記載しています

ほんの少しでもいいから母親に会いたい

熊本市 村川さん(70代)

1922年生まれの父の戦時中の経験を綴った手記です。*原文から抜粋し、一部書き換えています。太平洋戦争に...

もっと読む

ビルマに行くことは生き地獄 死にに行くことだ

熊本市 竹原さん(60代)

実家から戦時中の写真などと一緒に、ビルマでの戦いとみられる手記が見つかりました。*原文をベースに一部書...

もっと読む

思い出の戦記 祖国のために 気力が泡のように

熊本市 甲斐さん(70代)

1916年生まれの父が書き留めていた手記です。以下、手記から抜粋した内容を記載します。*原文に従いながら...

もっと読む

子ども2人を失って分かる戦時中を生きた母の思い

熊本市 米村さん(60代)

去年93歳で亡くなった母は、熊本港(熊本市)近くで生まれ育ち、10人以上の兄妹がいました。 私が小学生の頃...

もっと読む

金属回収令で軍需品となった梵鐘
戦後軍艦から新たな梵鐘に

熊本市 山本さん(60代)天草市 石原さん(50代)

天草市栖本町では、今も午後5時になると、どこからともなく鐘の音が聞こえてきます。その音は、不知火海を見下...

もっと読む

気が付くと体のいたるところに火傷を負っていた

玉名郡 西田さん(50代)

1931年生まれの私の母から聞いた話です。母が小学校に通っていた頃は、モンペに防空頭巾をかぶり、救急袋とラン...

もっと読む

お兄ちゃんが亡くなるとは思っていなかった

熊本市 石坂さん(90代)

1945年春、私が9歳の時の出来事です。あの日は、どこまでも広がるような美しい青空でした。当時、私は熊本市の...

もっと読む

音声で聴く

人を殺すように命令が 遺体を乗り越えて進んだ

熊本市 伊藤さん(70代

私の両親は、戦争という激動の時代を青春時代に過ごしました。1912年生まれの父は生前、折に触れて戦争の体...

もっと読む

音声で聴く

傷病兵たちの枕元に花を飾って慰めた 母の原風景

熊本市 伊藤さん(70代)

2020年に亡くなった1919年生まれの母は、戦時中、多くの人がそうであったように、自身を「軍国少女」と語って...

もっと読む

音声で聴く

製紙工場開設に八代から27人がマニラへ

福岡市 石坂さん(60代)

1943年5月。陸軍から旧王子製紙(現王子製紙 及び現日本製紙の前身)に対し、マニラ(フィリピン)に製紙工場...

もっと読む

音声で聴く

心に残る光景 その道は今もある

熊本市 足立さん(80代)

終戦までの1944年〜1945年にかけては、激しい空襲に遭いました。アメリカ軍の戦闘時は緑川の上を低く飛...

もっと読む

音声で聴く

燃え上がる軍用機 戦争に負けたんだ

熊本市 緒方さん夫妻(90代と80代)

私たち夫婦は終戦の時、10歳と9歳。2人共に今の城南町(熊本市)に住んでいました。終戦までの1944年〜1...

もっと読む

音声で聴く

ミッドウェー海戦で亡くなった義父

熊本市 渡辺さん(70代)

この家族写真に写る男性が、1942年当時、霞ヶ浦海軍航空隊(茨城)に所属していた義父(当時26)です。義母...

もっと読む

機銃掃射に襲われ 弾は1メートル先に着弾

玉名市 森さん(80代)

1945年8月の記憶です。3歳半だった私は、新町(熊本市)*当時:新細工町に住んでいて、この日は2階で3歳上の...

もっと読む

「戦争を風化させてはいけない」祖母の思い

熊本市 男性(20代)

長崎に住む祖母(90) は10歳の時に長崎市で被爆しました。祖母は毎年、原爆が投下された8月9日の平和祈念式...

もっと読む

音声で聴く

食糧難の時代 とにかくひもじかった

熊本市 山口さん(60代)

1930年生まれの亡き母に30年ほど前に聞いた話です。戦時中で思い出すことはと聞くと「とにかくひもじかった。...

もっと読む

音声で聴く

©RKK2025