戦争の記憶

熊本の記憶を残したい 戦争を経験した人。戦争を語り継ぐ人。戦争を語り継がれた人。

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郵送:〒860−8611 熊本市中央区山崎町30 RKKテレビ編成部「戦後80年。 私たちが知らない戦争」係メール:tv-hensei@rkk.jp

戦争の記憶

※証言やいただいた文章に基づいて記載しています

お兄ちゃんが亡くなるとは思っていなかった

熊本市 石坂さん(90代)

1945年春、私が9歳の時の出来事です。あの日は、どこまでも広がるような美しい青空でした。当時、私は熊本市の...

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人を殺すように命令が 遺体を乗り越えて進んだ

熊本市 伊藤さん(70代

私の両親は、戦争という激動の時代を青春時代に過ごしました。1912年生まれの父は生前、折に触れて戦争の体...

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傷病兵たちの枕元に花を飾って慰めた 母の原風景

熊本市 伊藤さん(70代)

2020年に亡くなった1919年生まれの母は、戦時中、多くの人がそうであったように、自身を「軍国少女」と語って...

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製紙工場開設に八代から27人がマニラへ

福岡市 石坂さん(60代)

1943年5月。陸軍から旧王子製紙(現王子製紙 及び現日本製紙の前身)に対し、マニラ(フィリピン)に製紙工場...

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心に残る光景 その道は今もある

熊本市 足立さん(80代)

終戦までの1944年〜1945年にかけては、激しい空襲に遭いました。アメリカ軍の戦闘時は緑川の上を低く飛...

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燃え上がる軍用機 戦争に負けたんだ

熊本市 緒方さん夫妻(90代と80代)

私たち夫婦は終戦の時、10歳と9歳。2人共に今の城南町(熊本市)に住んでいました。終戦までの1944年〜1...

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ミッドウェー海戦で亡くなった義父

熊本市 渡辺さん(70代)

この家族写真に写る男性が、1942年当時、霞ヶ浦海軍航空隊(茨城)に所属していた義父(当時26)です。義母...

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機銃掃射に襲われ 弾は1メートル先に着弾

玉名市 森さん(80代)

1945年8月の記憶です。3歳半だった私は、新町(熊本市)*当時:新細工町に住んでいて、この日は2階で3歳上の...

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「戦争を風化させてはいけない」祖母の思い

熊本市 男性(20代)

長崎に住む祖母(90) は10歳の時に長崎市で被爆しました。祖母は毎年、原爆が投下された8月9日の平和祈念式...

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食糧難の時代 とにかくひもじかった

熊本市 山口さん(60代)

1930年生まれの亡き母に30年ほど前に聞いた話です。戦時中で思い出すことはと聞くと「とにかくひもじかった。...

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空襲で奪われた幼い女の子の片腕

熊本市 山口さん(60代)

当時15歳の亡き母が語ってくれた、1945年8月10日の熊本大空襲の話です。その日、母と友人は2人で学校...

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熊本地震で見つかった戦争の傷痕

熊本市 柴田さん(60代)

2016年、熊本地震で築約130年の自宅は大規模半壊。壁などに大きな被害が出ました。その片付けの際に見つ...

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父がシベリアへ行っていたら私たちは

熊本市 平野さん(70代)

私が両親から聞いた話です。1926年生まれの父は、18歳ごろから中国・青島へ行き、軍服を作る工場...

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空襲に対し怖いという感覚がなくなっていた

熊本市 橋本さん(90代)

1932年生まれの私は、12〜13歳の時に空襲を経験しました。熊本市への空襲は1944年後半から19...

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空襲の時は2歳 それでも鮮明な記憶が

熊本市 甲斐さん(80代)

1945年。当時2歳の頃の記憶です。飛行機の音がしたら、防空壕へ逃げる。これを繰り返していました..

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シベリア極寒の地で 戦争が奪ったもの

宇城市 本田さん(90代)

戦後、日本の多くの若者が遠く離れた異国の地で過酷な運命を背負いました。私もその一人です。戦後 私...

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